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5/7/2008

チャタ永眠

金曜日、実家の母から1本の電話。

実家の愛犬、チャタ(本名は茶太郎。でもメス)が天国に旅立ったという知らせだった。

姉の電話の受け答えから、なんとなく誰かが亡くなったんだなということは感じ取れたけど、うちのチャタのことだったとは。正直すぐに受け止めたくない気持ちもあり、だましだまし、ごはんを食べながら聞いていた。でもやっぱり、逝ってしまったのはうちのチャタだった。

チャタが実家に来たのは9年5ヶ月前。私が今の会社に入る前だ。姉が病気療養で実家にいたとき、前の愛犬(享年17歳!)をなくしたばかりの母親の、ほぼ廃人同様のような生活パターンに、姉が見るに見かねて新しい子をもらってきたのだ。レトリーバーとシェパードと柴犬の血がまざった雑種のその茶色い子は、とても人懐っこい子だった。

chata1母親や姉にすぐなれたのはもちろんのこと、コワモテのうちの父でも関係なくどんどん近寄って「自分をなでて」と手で催促する面白い子だった。お散歩のときは、なぜか自分のウ○チバッグを加えて走るのが好きだった。外犬のはずなのに、夜といえば家に上がり、我が物顔で一番いい席を陣取る。ご飯の後には母親と顔を並べてコタツでうたた寝、母親にとっては娘以上に身近な存在だったに違いない。私はたまに実家に帰るときしか会えないけど、ごろ寝でもしようものならすかさず「なでて」のおねだりの対象だった。思えば、いいように扱われてたってわけね(笑)

チャタは今年になってから、子宮にあったしこりをとる手術をした。その後GWには少し痩せたかな?て感じだったらしい。でも手術後の傷が気になったのか、うまく治癒せず化膿した膿がリンパにまわってしまったのだとか。。。まだ生きたかもしれない。9歳。限りある命とはいえ、正直もっと生きられたんじゃないかと思うと、残念でならない。

チャタにとったらうちの母親は本当に「おかあさん」だった。どんなわがままも、うちの母親はきいてくれてた。どんなに暑くても、冬なんて凍えるほど寒くても、トイレに出たいときは常にうちの母親のセーターを後ろからひっぱった。いたずらっ子のような顔をして。きっともっと甘えていたかっただろうに、って思う。最後はいつも眠っている玄関先の布団で、動かなくなってしまっていたらしい。夜の1時ごろ、うちの父が様子見にきて名前をよぶと、ちょっと目を開けて顔を見て、そのまま逝ってしまったんだって。

ふだん姉妹そろって夜自宅にいるのなんて、とてもめずらしいのに、チャタ永眠のしらせは2人で同時に聞けた。聞chata2いた後、そのままごはんを食べていたのだけど、涙が止まらなくなった。家にあるチャタの写真に、白檀の香をたいてあげた。お花も飾った。

土曜日、実家の母はチャタのまわりをお花だらけにして、火葬場へもっていった。東京もとてもよく晴れた、いい日だった。ふとベランダに出ると、うちのマンションの窓の前に黒いチョウチョが1羽きていた。ふっと現れ、すぐにいなくなった。見たときに一瞬「チャタ」を思い出した。聞くと、違う時間にうちの姉も同じように黒いチョウチョを見ていて、同じように「チャタ」を思い出した。チョウチョには、死をお知らせする役割もあるって聞いたことがある。2人が同じように見てるってのも不思議なことだった。

あの蝶々は、チャタだったのかな。アイサツにきてくれたの?ありがとね。チャタ。あっちでも元気でね。ママがあまり落ち込まないように、見守ってやってね。

あああ~。せつない。。しばらくは、ワンコを見ると涙が抑えられない。。。。